4.4 水道事業の組織と人事制度


Q120
途上国の発展段階によって生じる水道事業職員の定着・離脱と、その問題点について説明してください





  Key words:職員の定着率、雇用の安定、給与格差、身分格差、人事制度

 定着という言葉は常識的に理解できますが、離脱という言葉にはなじみがありませんので、ここでは退職と解釈します。いずれにせよ、定着・退職する事情・理由は個人によって大きく異なるでしょう
 水道事業で働く職員が退職し転職するような外的(社会経済的)条件と、内的(水道事業内部の)条件は何だろうかということにより、この設問に対する答えを求めようと思います。
 また、一つの水道事業で職員の定着率が高いことが「よいこと、望ましいこと」と決めつけるのは正しくありません。先進国でも、職員が一つの水道事業から他の水道事業に移ったり、民間に転職して業績を上げる例は少なくないと思われますから。

1.外的条件(発展する経済のなかで起こる労働力の需給関係と社会環境)
 経済の発展が遅れている段階では、水道事業を含む公共機関は職員にとって安定した就職先です。労働力が過剰で失業率の高い国でも、公務員は身分が保障され給与もよいからです。水道事業は水供給を独占し、日銭が入りますから給与支払いの遅延も少ないのです。
 労働力の需要が供給とバランスしたり、上回ったりするような発展段階になりますと、失業率が低下し民間給与が公務員給与を超える場合が現れます。身分が保障されていること、種々の付加給与(住宅と電気・水道料金、食料の現物給与など)があること、年金があることなどが公務員にとって有利な条件です。この段階で、都市の水需要が増え始めたり、新しい水道事業が創設されます。
 新しい水道事業に移る既存の水道事業職員は、おそらくよりよい地位と給与を与えられるでしょう。ただし、新しい水道事業が求めるのは、経営能力のある行政・技術専門家と指導能力のある技能職に限られ、単純労務レベルの人々にはチャンスがありません。
 この段階あるいはさらに経済が発展した段階で、水道施設の建設のなかで直営工事が減り請け負いによる民間工事が増えるという変化が起こります。民間業者が資金・技術面 で力をつけるからです。
 上流側施設の土木工事、浄水場の機械・電気工事などから、下流側の配水管工事や給水装置工事まで、民間企業の関与部分が増えます。この民間企業とは、コンサルタント、メーカー、請負業などです。
 民間企業として、受注活動や受注工事の円滑な処理のために、水道事業で働いた経験者が必要となります。技術専門家と技能職を幅広く求めるとともに、非技術系でも「顔の広い」人が求められます。これらの建設工事にも、施設の運転・維持管理にも自動化・機械化が徐々に導入されますから、単純労務に従事する水道職員は事業体の中でも外でも職場が狭くなります。これらの人々が社会に適応できるような職場教育とか、公費による職能再教育が必要となります。
 学校教育も変わります。職能を修得するための商業・工業高校や短期大学が設けられ、平均的なレベルの高い、若い労働力が市場全体に、そして水道事業にも供給されます。このような質的変化は、別 の面では労働者の組織化を促し労働組合が結成されますが、組合のなかでも世代間の断層やホワイトカラーとブルーカラーのギャップが生じます。
 この段階で大きい問題として浮上するのは都市と農村の経済格差です。経済発展に伴って農村でも機械化が導入され、より多くの化学肥料が使用されることによる生産性向上が起こります。その結果 として都市に流入するのは、単純労務にしか適しない労働力です。
 このような背景のなかで、政治的な緊張が生じ、それは水道事業にも及びます。途上国の水道事業体と接触する場合に、その国の労働事情や水道の労働組合が日常の運営に影響を与えている例をみることがあります。

2.内的条件
 水道事業体が、大多数の職員に対して仕事に満足するような環境条件を与えてしているかどうかという問題になります。それらの条件について考えます。
(1)雇用の安定度
 水道事業体職員を階層と雇用形態で大別して、特別職に相当するトップ経営者、上級・中級の管理職を含む専門職、技能(非技術系を含む)職、常傭の労務職、臨時雇用の労務職とします。
 常傭職員のなかで専門職、技能職の雇用の安定度が最も高いでしょう。それに比べると、法的に強く身分保障がされない限り労務職員の安定度は低くなります。経営合理化のための人員削減の場合に、この人々がまず対象となります。多くの途上国で、トップ経営者は不安定です。政治権力が変わると交替させられるからです。上級・中級の雇用が安定していることは、行政の連続性という点からみて望ましいことです。
(2)給与の格差(官公庁と民間企業の格差、官公庁内での上下格差)
 急速な経済成長をしている2つの国で、官公庁の中堅技師と民間コンサルタントの同程度の技術者の給与格差について、いろいろな人から話を聞いたことがあります。同程度というのは、ほぼ同年齢で技術士資格をもっていることです。
 両国ともに民間給与が官公庁給与より高く、その比率は1つの国では2倍、もう1つの国では3〜4倍でした。比率の高いほうの国は低いほうの国に比べると、大学卒の数が少なく教育の普及度もかなり遅れていました。
 前に述べた付加給与を含めると、この比率はもう少し縮まるでしょうが、3〜4倍の差はやはり大きく感じます。大学卒の多くが官公庁に入るために、民間で働く大学卒の中堅技術者が少なく、希少価値があるのでしょう。
 これらの官公庁技師に対して、民間企業から誘いがあるようですが、転職する例は少ないようです。その理由としては、やはり官公庁に比べると民間企業では身分保障に不安があるとのことです。途上国の民間企業では資本と経営が分離されていず、転職して高い地位 と給与を受けることができたとしても、なおリスクがあるのでしょう。
 社会主義体制の途上国で、大臣の給料が平均的な労働者の月収の10倍以下であると聞いて驚いたことがあります。その大臣の豪邸内には外線・内線の電話が数十台あるというので二度驚きました。つまり、表向きには上下の間の給与格差は大変に小さいということです。
 上に述べた例の2国は資本主義体制の国ですが、40歳代半ばの技術者の給与と新卒技術者の給与を比べると、その倍数は日本並みだったと記憶しています。つまり、資本主義国でも公務員給与の上下格差は、民間給与の上下格差に比べて小さいということです。
 途上国のエリート官僚は、給与以外の収入があり実質所得については民間との格差が小さいのでしょう。そして、実質所得の格差は同じ官公庁の下級職員に比べて大きいのでしょう。
 したがって、将来の昇進や種々の特権を考えると、見かけの給与の格差が転職の理由とはならないだろうと思われます。
(3)身分の格差
 途上国で気になるのは、大学卒職員とそれ以外の職員との間の身分格差です。エンジニアという言葉は、大学卒の学士・修士をもつ技術者に限定され、十分な技術能力があっても大学卒でなければテクニシャンと呼称するのが普通 です。
 この身分格差がもたらす弊害は技術の交流が妨げられることです。
 技術には理論と実用の2つの面があり、理論が実用されて裏付けされたり修正されたりします。また、経験が整理され体系化されて理論が生まれます。
 日本の場合には、大学卒がデスクで理論を勉強したり、現場に出て実用を経て経験を蓄積します。特に現場では、大学出ではないが経験の豊富な技能職員に助けられ教えられることが多く、自分の限界を知ると同時に技能の大切さを理解します。明治時代に西欧の技術を短期間に吸収し実用化できたのは、江戸時代から伝えられた厚い職人層のおかげであるといわれています。その後にも日本の製造業では、大学出の社員が熟練工員と一緒に働くことが習慣化されていましたが、それが技術の高度化と経済発展の原動力となりました。
 途上国の民間企業では、大学出が現場で工員と肩を並べて働き、技術的な問題を議論するような習慣が浸透し定着しつつあります。しかし官公庁のオフィスでは、大学卒だけが占める一郭が別 に設けられており、現場事務所では若い大学出が所長室に入っている風景を見ます。現場経験がなく、実務的な技術を知らない大卒の中堅技術者は珍しくありません。この人たちは、技術を観念的に理解しながら昇格します。
 官公庁の技能職員は、理論的な思考方法を身につけることなく、経験だけを平板的に蓄積します。それらの経験がもしフィードバックされれば、貴重な技術資産になるかもしれませんが、宝の持ち腐れに終わるわけです。また、職員の技能を開発するための機会が乏しいことは、人的資源の持ち腐れにもなります。
 身分の格差が当然視されている社会では、このようなことに対する問題意識がありません。よい条件で転職する機会が少ないために、自分の能力を認識したり、能力開発に意欲を燃やす技能職員が生まれてこないのが現状です。
 その結果として定着率が高いとしても、ほめられる話ではないと思います。
(4)いろいろな「えこひいき」
 どこの国や社会にもみられることですが、権力者が一族や縁故者を「えこひいき」することが途上国では露骨に行われます。当然のことと容認するどころか、好ましいこととする風潮さえあります。その縁故関係は親戚 、姻戚、同郷、同じ学校、同じ政党など、さまざまなつながりです。中心となる権力者がいなくても、それらのつながりは勢力を維持・拡張しようとします。
 水道事業体の人事に「えこひいき」がある場合には、それを理由として有能な人材が辞めることもあるでしょうし、「えこひいき」を求めて立ち回る人々も現れるでしょう。いずれにせよ、組織の正常な運営の阻害要因となるわけです。

3.人事制度
 職員の定着・離脱に影響すると思われる雇用の安定、給与格差、身分格差、「えこひいき」などについて述べました。
 どのような組織にとっても大切なことは、個々の職員が満足して自分の仕事に精励すると同時に、互いに協力して組織としての機能を発揮することです。そのために、組織は職員の仕事の内容、責任と権限を事務分掌というかたちで規定します。そして、採用、身分・給与に関する昇級・昇格、賞罰などについての人事規定を設けます。
 また、国・地方の公共機関事業職員の責任と義務について広く規定する国家・地方公務員法があり、公営企業職員については同様な法令があります。
(1)法令や規定について
 途上国でまず気をつけることは、これらの法令や規定が制定されているかどうか、法令や規定が組織と個人を対等に扱っているかどうか、法令や規定が公正に運用されているかどうかという点です。
 途上国の多くでは、いまだに支配と被支配の関係が残っています。支配者はその力を維持するために、法による統治(法治)をなるべく遅らせ、主として被支配者を拘束するために法令・規定を制定し、制定した法令・規定を都合よく運用します。
(2)水道事業の場合
 多くの水道事業の場合に、法令・規定は整備されており、外部からみて問題点や抜け道は見つかりません。問題は公正に運用されているかどうかという点です。
 経営について水道事業体の執行部に監督・助言する権限をもつ委員会が設けられ、そのなかに学識経験者や民間の有力者が参加していることがあります。このような委員会は、組織の機能化や経営の効率化に役立つと思いますが、人事に関しては執行部に任せざるをえないでしょう。
 基本的には人事権は経営権の一部ですから、人事は執行部が専決できるわけですが、上にあげた問題を考えますと、重要な人事事項については労使協議会で事前協議することもよい慣行です。

(若本 修)

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